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2017.03.03

【越境人】八ヶ岳と東京の2拠点ワークを1年半で実現した津田賀央さんに、越境人たる秘訣を学ぶ

【インタビュー「越境人」 】
居住地、年齢、経験、性別、キセイガイネン……会社という枠・ボーダーをこえて、自分の可能性を最大限に活かそう。ボーダーをこえている人達を「越境人」と私たちは呼んでいる。ここでは、彼らの「越境人」となるための秘訣を聞く。

 

 

こんにちは。Miyoです。

 

世の中でいわゆる制限とされる時間、場所、肩書き……。あらゆるボーダーをこえて自らの才能を発揮し活躍する「越境人」をご紹介する本シリーズ。お2人目は、八ヶ岳のRoute design合同会社代表の津田賀央さんです。

 

津田さんは2015年春に家族で八ヶ岳に移住。同時にRoute design合同会社を立ち上げ、現在は自治体の仕事から地元企業のさまざまな仕事を請け負っています。一方で、週に3回は東京に本社を構える世界規模の大手メーカー会社での仕事をこなす2拠点ワーカーです。
最近注目を集めている2拠点ワークを実現するためのヒントを中心に、越境人たる秘訣を伺いました。

 

 

「常に異質な存在だからこそ面白い」のスタンスが良質な企画を生む

 

津田さんのキャリアは、新卒で入社した中堅広告代理店からはじまります。担当はデジタルコンテンツプランナー。デジタルコンテンツがまだ主流ではない時代、会社でもマイナーな部署。人も少なく、戦略提案からメディア選定まであらゆることを一人でやる環境でした。モバイルアプリの企業に出向し、ビジネスサービスの立ち上げ、SNSのコミュニケーション戦略等の経験も。多くの場で精力的に仕事をこなしていきます。

 

Q.津田さんにとっての仕事の姿勢やベースのようなものがあれば、教えてください

 

幼少時はアメリカで過ごしていたわたしは、高校も帰国子女枠での入学でした。最初に入社した会社も当時はマイナーなデジタル分野。出向先でも「あの人は違う会社から来た人」という感じで、常にその場のなかで「異質」な存在だったんですよね。このどこにも所属していない感覚ゆえに、自分の居場所に悩んだ時期もありましたが、その後「常に自分が異質な存在であったほうが面白いな」と思えるようになってきました。違うからこそ提供できる視点がある。そういう姿勢が今までの実績につながってきているように思います。常にハイブリッドな存在でありたいんです。

 

一時の消費を助長する仕事ではなく、長期的な視点で仕事をしたい。超有名大手メーカーの企画担当として転職。そこでみた理想的な働き方

 

出向したことがきっかけとなり、異業種やエンジニア達との交流もはじまります。30歳を前にして、次々と起業、新しいサービスを立ち上げる仲間達。津田さんも「今の一時の消費を助長する仕事よりも、もっと長い視点で仕事をやっていきたい」と広告業界自体に疑問を抱き、転職を考えます。そして、友人の紹介で超有名大手メーカー企業の企画担当として新しいスタートを切ります。

 

Q.中堅広告代理店から大手メーカー企業と大きく環境が変わりましたが、ご自身の考えや満足度などは変化したでしょうか

 

グローバル企業での仕事は、業務の内容はもちろん、関わる人、行程などすべてにおいて規模が大きく海外とのの手続きや人との関わりは刺激的でした。
ただ、やはり歯車感というか、スピード感の違いのもどかしさ、社内調整に労力をとられることへの違和感など、疑問も感じはじめました。

 

そんなとき、アメリカのカリフォルニアのマネージャーの働き方に触れて衝撃をうけたんです。彼は月~木はカルフォルニア州にある会社の近くのハウスボートに住み、自転車で通勤。金曜日は隣のユタ州のリゾート地にある自宅からテレワーク。週末は家族とスキー三昧というワークスタイルでした。
それをみて、「こういう働き方っていいな。」と思ったんです。同時にリンダグラットンの『ワークシフト』を読みはじめました。

 

妻の一言でスイッチオン。実現を決めてからは「使えるものは使って」行動につなげていく

 
当時は横浜に住んでいた津田さん。数年かけて自分の理想とするワークスタイルを模索しようと長期的に考えていました。しかし、津田さんのスイッチは意外なところから押されることになりました。

 

Q.長期的に考えていたはずの地方での生活は、ずいぶん早く実現なさったようですがきっかけは何でしたか

 

昔から山が大好きで、長期休暇がとれたときは山ごもりもしていました。2013年の秋、八ヶ岳に家族でキャンプに行ったときのこと、妻が「ここに住みたいな」と言ったんです。自分の拠点を地方へ移すことは、いずれできればいいなくらいに考えていたのですが、「そうか、家族も望んでいるのであれば、もう行動しようかな」と思いましたね。
行動するにあたっては、「これからの新しい働き方が実現できる場所づくりをしたい」という思いがベースにありました。

 

情報を集めている津田さんの目に飛び込んできたのは、長野県諏訪郡富士見町の「富士見町テレワークタウン・ホームオフィス計画」。八ヶ岳の麓に位置する富士見町の雄大な自然の中で、新しい働き方を創出していくコンセプトのもと立ち上げられたプロジェクトは、まさに津田さんが考えていた働き方をかたちにするものでした。

 

まさに自分がつくりたいと思っていたコンセプトだったので、興味深く調べたんです。ただ、当時は富士見町のウェブサイトの片隅に小さなPDFがあるだけで、「せっかくこんな良いプロジェクトなのにこれじゃ誰にも伝わらない!もったいない!」とすぐにメールしましたね。もちろん、いきなりですよ。でも自分も企画のセクションにいましたし、全くの畑違いというわけではありませんでしたので、自分が持っているリソースを使えるものは使ったわけです。結果、個人的にではありますがそのプロジェクトに本格的に関わることになったんです。

 

その後、津田さんは毎週のように週末は富士見町に通います。その甲斐あって、プロジェクトは予定数を大幅に上回る募集者を得て大成功。津田さんは、その後もこのプロジェクトの柱となる「富士見森のオフィス」の運営を依頼されます。

 


(引用元:富士見町ホームオフィス計画のウェブサイトより)

移住して転職しました、ではつまらない。八ヶ岳と東京。全く違う環境の刺激を仕事に還元させていく道を選んだ

 

Q.移住先での仕事も決まっている状況で、なぜあえて2拠点ワークというスタイルを選んだのでしょうか

 

本当にトントン拍子で移住先も、移住後の仕事も具体的に決まっていきました。ただ、今の仕事も充実していたし、やめたいわけではなかったんです。移住先の仕事と今の仕事、全く違う環境の刺激もそれぞれ仕事に活かせると思ったんですよね。それに「移住しました。転職しました。お給料も下がりました。」ではつまらないじゃないですか。そこで、上司にかけあってみることにしたんです。

 

津田さんが上司に話すために確保した時間は20分。寝耳に水の津田さんの話に、最初は憤慨していた上司も、津田さんの「家族の夢をかなえるために、会社をつくることになった。仕事をやめたいわけではないので、もし続ける道があれば是非やらせてほしい」という熱い言葉に、「男として応援する」と担当役員にかけあってくれることに。正社員という肩書きは失ったものの、仕事は続けることになり、2015年春から2拠点ワークをスタートすることになりました。

 

働くということ自体の視野が広くなる2拠点ワーク。実現のカギは・・・・・・

 

Q.現在、津田さんは月、金、土曜日を富士見町にて、火曜日から木曜日は東京での仕事をこなしているということですが、このワークスタイルを開始してもうすぐ2年。そんな津田さんが考える2拠点ワークのメリット、デメリットとはなんでしょうか

 

まず、働くということに関して圧倒的に視野が広くなります。毎日会社に通っていた頃と比べて、仕事をダイレクトに感じられるようになりましたね。また、物理的に離れているところのアイディアを合わせていくことも刺激的ですね。八ヶ岳の雄大な自然と東京渋谷のセンター街。全く違う要素なんですよ。

 

デメリットというか課題として感じていることは時間がないことです。会社設立から間もないので仕方ない部分もありますが、ずっと仕事している感じは何とかしないといけないなと思っています。あとは、やはり地方にいるとインプットする機会が少ないとは感じます。行きたい講座や情報はどうしても東京に集まることが多い。なので、今後は富士見町でもいろんな方をお招きして質の良い講座や情報提供ができる機会を増やしていきたいと思っています。

 

津田さんが運営を任されている「富士見 森のオフィス」には新しい働き方を実現する様々な業種の人が集う。今後はインプットできる機会「森の知恵セミナー」を準備中。

 

Q.最後に、2拠点ワークを実現しようと思っている方へ、アドバイスをお願いします

 

これはすべての仕事に共通する内容だとは思いますが、行動もメンタルも「マルチタスク」になることがとても必要になってきます。なかなか難しいですが、意識していろんなことを同時に考え、こなすように心がけていますね。

 

また、やはり本当にそれを実現したいのであれば、24時間やる覚悟、そしてサラリーマンだったら正社員でなくなることや給料の減額などがあったとしても、「自分がなにをやっているのか」にこだわれる覚悟が必要だと思います。

 

おわりに

 

淡々とした口調の中から、熱い想いが伝わってくる津田さん。津田さんが2拠点ワークを実現させた過程には、越境人として活躍するヒントがたくさんありました。特に、巡ってきたチャンスを活かしカタチにした彼の柔軟な行動力と交渉力、雇用形態や給料減額よりもやりたいことを選択した覚悟は、すべてをうまく運ぶ鍵になったといえるでしょう。

この記事の筆者

Miyo

Miyo

5年で30人から1000人規模へ成長を遂げたベンチャー企業にてシステム担当から広報、IR、経営企画、上場準備と幅広い分野をがっつり経験した事務系ジェネラリスト。出産を機に独立。2014年に八ヶ岳の西麓に移住し、自然の中で丁寧な子育てを実践中。線香花火のようにじわっと長く愛される企画やマニア心をくすぐる企画がツボ。