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2018.04.02

【越境人】30歳を機に独立!なんとかなるはなんともならなかった。出会いの転機や逆境をチャンスに変えて、今がある。アジアンブリッジ株式会社阪根嘉苗さん

【インタビュー「越境人」 】
居住地、年齢、経験、性別、キセイガイネン……会社という枠・ボーダーをこえて、自分の可能性を最大限に活かそう。ボーダーをこえている人達を「越境人」と私たちは呼んでいる。ここでは、彼らの「越境人」となるための秘訣を聞く。

 

 
今回の越境人は、台湾で生まれ小学生から日本で育ち、30歳を機に台湾でのビジネスを立ち上げた、アジアンブリッジ株式会社代表取締役 阪根嘉苗さん。
 
大学院を卒業後にリクルートエイブリック(当時)に入社、30歳を機に独立し、会社はもうすぐ9期目に入ります。そう聞くと、とても華々しいキャリアを歩まれてきたように思えますが、リクルートエイブリック時代は同期に比べて落ちこぼれ(本人談)、そして「なんとかなるだろう」と会社を立ち上げたあともなんともならず、2年前までは月末に自分のお給料をおろすのをためらわれるほど。
 
それがここ1年で会社は急成長! 8期続けた中で人との出会いや逆境をチャンスにいかした急成長の秘密に迫りました。
 

大学生で友人とタピオカ起業の後、修行をしたいと就職へ

――阪根さんが自分でビジネスをしようと思ったきっかけはなんですか?
 
母親が台湾の高雄で料理屋を経営しており、小さい頃から経営について触れ合う機会が多かったので、「将来親を助けられるように経営を勉強したいな」「会社をやりたいな」という想いは昔からありました。
 
そして大学のときに、当時台湾で流行っていて日本ではまだそんなに浸透していなかったタピオカで友人と起業しました。ただ当時は倉庫を借りるお金もなく、大量に輸入をして、家で保管をしていたら、タピオカが全てカビてしまって‥‥‥
 

――全部カビてしまうって、それはショックですね。
 
タピオカ、本当は冷凍保存が必要だったのですが、家の押入れに入れていました。冬を越し、春を迎えてさぁ売るぞ!と、押入れを開けて中を見たら、まさかのカビ! それからも色々あり、このままでは自分の目指す理想的な経営者になれない、もう少し修行をしたいと起業をあきらめ、当時の株式会社リクルートエイブリックに入社しました。
 

30歳を機に独立! 8期目でやっといいフェーズに入った


 

30歳を機に成功するだろうと独立するも、うまくいかず、私は本当に才能がないと思っていた

――修行をしようと就職し、その後30歳を機に退職されたのですね。
 
就職したものの同期と比べて中々結果が出せず、ずっとモヤモヤしていました。30歳の頃に、リーマンショックなどの影響で社内で退職金割り増しという話しがあり、「私、そのお金で独立しよう!今しかない!」と思い切って辞めました。ただその退職金は半年で旅行とかに使っちゃたんですが。(笑)
 
30歳の私は、本当に無謀で独立したら絶対うまくいくものと、根拠もなく思っていました。でも最初の3年間はなんともならず、自分1人で食べていくのもままならないほど大変でした。細々とはやっていたけど、ビジネスとして長く継続できるモデルもなく、人に依存していて。その頃、同世代の経営者は華々しく世に出て行っていたので、私って本当に才能がないなと思っていました。
 

先輩からの声かけに乗ったことで、大きな転機に!

――3年間本当に大変でも辞めずに続けられた中で、4年目からはどうだったのですか?
 
4年目以降は私がうまくいかないなら、日本で既にうまくいっている事業を台湾に持って来てやろう!と方向転換をしました。そんな中、ある日本の写真サービスの会社の台湾でのビジネスをお手伝いするようになり、そこから人材会社と続いて、少しずつ活路を見出していきました。ただ1つ1つ別の事業が増えていくので、これだとノウハツがたまりづらい。
 
ノウハウがたまらないとシステム化ができないため、アナログの力に頼らざるを得ません。たとえば私が‥‥‥気合で頑張る! 寝ないで頑張る!! というような状況から抜け出せず。このままだと独立当初から描いていた「日本と台湾の架け橋になりたい」という想いがあっても、あまり多くの企業のお力になれないと気がづきました。
 
――活路が見いだされたように見えても、限界がきて、そこでまたビジネスモデルの変更をしたのですね。
 
ちょうど台湾の通販の中でもECが伸びている時期で、そのときにリクルート時代のOBの先輩から「通販の支援を一緒に台湾でやらない?」と声をかけてもらいました。当時はこれまでの延長でまた1社増えるだけと思って「やりましょう!」と言ったのですが、これが実は人生の大きな転機になりました
 
結局今はそのときに声をかけてくださった方とつくった会社と、派生した事業をやっています。リピート通販と言われるもの(定期購読品)を主軸にしており、これが始まってから他の分野の事業をお断りして、2年前にこの事業に集中するようになりました。そこから会社が大きくなっていったんですが‥‥‥。
 

2年前。顧客の7割が契約解除! 逆境がチャンスになった

――主軸の事業に集中して、会社が大きく育っている時期に何があったのですか?
 
大きな落とし穴が待っていました。通販という消費者の元にモノを運ぶと言うビジネスはとても大変で、ミスのポイントが色々待っています。例えば日本では問題がない成分が台湾ではNGだったり、さらに台湾の検査機関ではOKをもらっても税関でつかまり、全品廃棄になってしまったり。そのほかシステム操作のミスや、まだリピート通販に慣れていないお客様よりクレームが来てしまい、その対応の問題でTVに取り上げられたりもしました。
 
そんなこともある中で、約7割のクライアントの解約という事態も発生して。当時、私自身は日本に住んでいましたが、会社の危機的状況と、このまま遠隔ではトラブル発生時の対応について社員も不安だろうと、夫婦で台湾に引っ越しました。あの時、「手伝うよ」と一緒に台湾に行くことを決断してくれた旦那さんには感謝しています。
 

――そんな危機的状況の中、台湾に移住してから、快進撃が始まったのですか?
 
当時の通販システムはとても高価で、台湾に進出したくても出来ない日本の企業が多いとう課題がありました。そこで、今普及しているシステムの1/10くらいの金額で提供できる、優秀なシステムを開発しようと思い立ちました。この安価で優秀なシステムが実現したことで、値段が参入障壁になって台湾に出て来られなかった企業が一気に台湾に進出し、おかげさまで業績も挽回して、今の成長につながりました。
 
 

おわりに

新オフィスで従業員の方達と


 
今は月商も1億を超え、社員が36人になり、優秀な社員も育ってきて、いいフェーズにいるかな? とほほ笑んでいた阪根さん。2年前までは自分の給料を引き出すのを何か月もやめるほど大変な時期があったけど、歯を食いしばって乗り切ったおかげで今があると語ってくれました。
 
独立してから約6年あまり大変な時期が続いた中で、「会社員に戻る選択肢はなかったのか?」と尋ねたら、「社員がいるからその選択肢はなかった」と言われていたのが、印象的でした。今は社名の通りまさに台湾(アジア)との懸け橋になった、アジアンブリッジ株式会社。阪根さんなら、これからどんな試練があったとしても、絶対に乗り越えるだろうと思えるほど、力強いお話しを聞くことができました。

この記事の筆者

yoko koga

こが ようこ

IT企業でのSE、営業ののち、4年のブランクを経てアイクリエイトで修行中。地域でママ×○○として「やりたい」が育つ『ツナグバ』という場づくりに奮闘中。