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2017.10.20

【A面】キャリアも事業も逆張り!? 日本に「メンタルヘルスマネジメント」という概念を生み出した荻原国啓さん

【インタビュー「企画人」 】
「企画人」は自由だ。働き方も自由だ。理想と現実のギャップを埋めるチカラ、「企画力」があれば、仕事も、はたらきカタも、プライベートも、人生はもっと自由にデザインできる。多様な企画力を駆使してその人らしい生き方を実現している先人たちを訪ね、「A面:生き方・働き方」「B面:企画のポイント」をテーマに話を聞く。

 

 

今回の企画人は、学生時代の1998年に株式会社ピースマインド(現、ピースマインド・イープ株式会社)を双子兄弟で創業し、個人、組織のメンタルヘルスの問題を解決するため、1対1のインターネットでのオンラインカウンセリングを日本で初めて開始した荻原国啓さん。当時の日本には「メンタルヘルスマネジメント」という概念はなく、荻原さん達が生み出しました。周りが就職活動をしている中、創業。さらに創業当時の日本はITバブル真最中。そんな中、「メンタルヘルス」という新しいカテゴリに着目したその理由など、荻原さんの逆張りのキャリアについて伺いました。

 

※記事は【A面―生き方・働き方】と【B面―企画のポイント】の2回に分けてお届けします。本記事は【A面】です。

 

周りが就職活動をしている中、第二新卒とベンチャーをつなぐ紹介事業をしていた

 
Q.これまでのキャリアの転機になったことを教えてください
 
高校生の時に、自分のこれまでの進路は、周りから自然に導かれていて、「この学校行きたい」と自分で決めてはいたけれど、そもそもの選択肢は周りから影響を受けてきて今があるんだと、思っていました。進学校にいたので、この先もいい学校に行って、大企業に就職して、というように相場が決まっていることに不安や焦りを覚えていました。
 
大学にいけば、とりあえず可能性は広がるかと思ったけど、実際は周りの活動も結局は就職活動時のアリバイづくりのようなものばかりで笑、それが相当気持ち悪いなと思っていて…。そこから自分で事業を興すとか、くさく言うと、“社会に足跡を残す”とかに憧れを抱いていました。
 
その後、大学2年くらいからもがき始めて、今のような「インターン」という言葉がなかったので、自分で色んなところに丁稚奉公に行っていました。そうした活動の中で、自分でWEBサービスを立ち上げたり、新たに第二新卒の紹介事業を立ち上げたり色んなことにチャレンジしていました。
 
Q.「第二新卒」とういカテゴリ、当時はなかったですよね?
 
それは行動が先に立っていて‥‥‥。大学生で何かやりたい! と、色々やっていると大学生のネットワークがたくさん出来て、それをデータベース化して人材紹介事業をやっていました。そこに注目した企業がやってくるので、「第二新卒」の先駆けみたいなことや、大手の就職情報に載っていないような面白いベンチャーを学生に紹介したりしていました。
 
ただやりながら、今学生だからやっているけども、これは一生やる仕事じゃないな、と正直もがいていました。卒業したら思い入れもなくなるし、そもそも大学生だから大人から「モテて」いるだけで、すぐ他の大学生が出て来てリプレースされると思っていました。そしてそんな時に創業メンバーと知り合いました。
 

ITバブルには乗らず、新規カテゴリの「メンタルヘルスマネジメント」事業を立ち上げ


 
Q.当時はITバブル真っ最中だったと思うのですが、その波とは異なる分野の事業をどういう経緯でおこされたのでしょうか。
 
創業メンバーは、佐藤隆俊(TAK佐藤)さんというプロ野球エージェントのパイオニアの方と、僕の双子の兄です。佐藤さんは日本のスポーツ界で「エージェント」というカテゴリがない時に自分でそのキャリアをつくり、アメリカから帰国したタイミング。私たち双子は当時大学生でした。そこで意気投合して、一緒に事業をやろう!と。ただやるからにはパイオニアになれるもの、社会に必要とされるものは?と、自分たち双子と佐藤さんの3人で連日ファミレスにて企画会議をしていました。
 
そこで、自分たちの原体験などを話していく中で、佐藤さんがポロっと話したエピソードが事業のきっかけになりました。佐藤さんの印象に残った野球選手の話しですが、同じくらい才能のある選手が2人いて、かたや1年目からメジャーで活躍しているのに、もう1人は才能があるのに3Aとメジャーと行ったり来たりしていて‥‥‥。その2人の差を佐藤さんが周りの選手に聞いたところ、「メンタルだ」とさらっと返されたそうです。活躍している選手はカウンセラーをつけパフォーマンスを常に発揮できるように投資をしており、もう1人は精神的に不安定な問題児選手だったと。
 
それを聞いて、なんとも言えないショックと悔しさがありました。僕が抱くアメリカのイメージでは、合理的な取り組みとして筋トレばかりしていそうなところ、メンタルを科学的に取り入れている。実際の日本ではそんな考えがなくて、なんか悔しいなと思いました。そして、これを解決するような事業をやれないか!? と思いました。
 
そこから、ふと中高時代に不登校の問題はじめ、あらゆるストレスが身近にあったことも一気に社会的なニーズとして「線」になるようにイメージでました。さらに当時の1998年頃は長銀や山一證券が破綻した直後。経済的な豊かさが心の豊かさにつながっていない大きな矛盾に日本は直面していることが学生の自分でもヒシヒシと感じていました。メンタルをサポートして救える人はいっぱいいる、スポーツ選手だけじゃなく、一般の家庭など、あらゆる人を救えるプラットフォームをつくりたい! と。そしてこれを元にビジョンが決まりました。
 
その翌週に社名の「ピースマインド」が決まり、そこから戦略やサービス、プロダクトをどうしようか? という話になりました。日本には当時この考えはなかったこと、日本は恥の文化、そしてインターネットが普及し始めたばかりの時。インターネットは必ずこれから生活の一部になる、という感覚から、個人が誰にも知られずにアクセスして相談ができ、スムーズに解決できるインフラをつくろうと、ピースマインドの事業が始まりました。そこから日本で最初のカウンセリングの総合サイトを立ち上げました。
 

身近なストーリーに敏感に!遠くの普遍的ニーズをイマジネーションする

 
Q.ピースマインドの事業はこうやって始まったのですね。始めかたも、市場調査とかせずに、まずはビジョンからだったのですね。
 
僕の企画発想は、まずごくごく身近なストーリーとか社会的な課題や悩みに敏感でいること。それを解決したいと思い、そこから遠い人の普遍的な課題をイマジネーションし、それを救うにはどうしたらいいか? を考え、やってみるという順序になります。今回だと、TAK佐藤さんのアメリカの野球の話しから感じた、「悔しい気持ち」から、中高時代の友人や家族なども抱えている普遍的な課題をと広がりました。事業立ち上げの時だけじゃなく、その後もずっとこれの繰り返しでやってきたと思います。
 

成功した事業の維持・発展より、自分のワクワクの原点、0から1をつくる事業へ!


 
Q.創業後、マーケットのパイオニアとして現在まで牽引されてきた中ではどんな困難がありましたか?
 
事業の企てフェーズ(起業)は大変だけど、とても楽しかったですね。そこから事業や組織を維持・継続させるフェーズになったときに、ワクワクしつつも学生から事業を立ち上げたので、組織のイロハなど知識がなく、試行錯誤しながらやってきました。例えば、社員を採用して育てるフェーズの際に、自分は「すぐに行動してそこから学べばいいだろう」と思っているので、それをそのまま押し付けてしまって、マネジメントが出来ず苦労したり‥‥‥。そのことに気づいたのもだいぶ経ってからですね。お子様でした。笑
 
事業が3から5、5から10へとしていくフェーズでは、自分で牽引するというよりは、仕組を正確にオペレーションする人材が必要で、またそういったメンバーに気持ちよく働いてもらうことなどにはすごく苦労しました。自分はいわゆる管理者タイプじゃないと気づきながら、やらざるを得ないという感じもありました。やりたいことをやっているはずなのに、経営者自身に課せられるものが違ってきて、その距離感に苦労しながら試行錯誤を繰り返して経営してきました。困難が自分を成長させてくれました。
 
やがて仕組化され、組織化された状態になると、自分の手を離れたなという感覚を持つようになります。日々のオペレーションではなく、大きなキャリアとして俯瞰した場合、そこに安住して、それを伸ばしていくことだけがやりたいことか? などなど考えて、自問自答をたくさんした結果、退任することにしました。
 
経営は、マラソンのようなもので、終わりのないものだから、どこかで区切って総括するときが必要だと思います。(ここで20代、30代はどういう気持ちで過ごされていたかの話しを伺いましたが、それはコチラの記事でご紹介しています)
 
Q.退任しよう!と思った瞬間というのはあるのですか?
 
自分がつくった会社の生業がしっかりできて、組織化もされて、おかげさまで多くの素晴らしいお客様と優秀で大事な社員メンバーを含めて守るべきものが増えたのは非常に有難くラッキーなことでした。その一方で、良くも悪くも、大胆に試行錯誤が出来ないフェーズになったときに、自分自身に「おや?」という感じがあって。それをそっとしておくこともできたかもしれないけれど、会社にとっても良くて、自分にとってもワクワクできる選択をしていくのが大切だなと思いますね。
 
Q.今後はどのようなことをされていくのですか?
 
今後10年、20年を考えると、もうちょっと原点に戻って、自分が経験したことを0から1を生み出すことに活かしたり、必要な産業をもっとつくることに挑戦したり、貢献したりということにワクワクしたいと思っています。だから、新しい会社名もそこからつけました。(荻原さんの新しい会社は「ゼロトゥワン株式会社」です)
 
・・・・
 
野球選手が筋トレだけではなく、「メンタルヘルス」に重きを置いていること、日本にまだない考えだったことにショックを受け、日本の「メンタルヘルスマネジメント」のパイオニアになられた荻原さん。メジャーな道には進まず、常に逆張りをいっていたその原点は、荻原さんご自身が双子だから。常に同じ服、同じ持ち物で注目されて、それがとても苦痛だったとのこと。なので、まずは双子の兄との差別化から始まり、いかに人と違うかを考えて来られたからかもしれません。
 
今後【B面】では、多くの人が持っている「既成概念」の外し方など、荻原さん流の企画力について迫りますので、お楽しみに!

この記事の筆者

yoko koga

こが ようこ

IT企業にてSE、営業として働き妊娠を機に退社。地域でママ向けのイベント・講座を行う団体の代表をしている。 住んでる地域を楽しいところにしたい!という活動を展開中。好きな言葉は「なんとかなる」、子育てモットーは「死ぬこと以外はかすり傷」。