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2015.10.15

【企画人:A面】大給近憲さん(株式会社光文社 Mart編集長)/「すべては、相手のニーズありき」

 

【インタビュー「企画人」 】
「企画人」は自由だ。働き方も自由だ。理想と現実のギャップを埋めるチカラ、「企画力」があれば、仕事も、はたらきカタも、プライベートも、人生はもっと自由にデザインできる。多様な企画力を駆使してその人らしい生き方を実現している先人たちを訪ね、「A面:生き方・働き方」「B面:企画のポイント」をテーマに話を聞く。

 

Mart編集長、大給近憲さんの写真

 

今回の「企画人」は、株式会社光文社で生活情報誌『Mart』の編集長を務める大給近憲さん。柔軟剤のダウニー、高級鍋のル・クルーゼから、桃屋の食べるラー油まで、主婦が起点となった数々のブームを巻き起こしてきた仕掛け人、その人だ。これほどまでに次々とヒットを生み出すその背景には、いったいどんな“大給メソッド”があるの? そしてその思考は、どのような過程で培われてきたものなのかーー?

 

※記事は【A面—生き方・働き方】と【B面—企画のポイント】の2回に分けてお届けします。本記事は【A面】です。

 

 

雑誌“スタイル論”の時代、『CLASSY』編集部で16年間

ショッピングモールの夜景写真

 

Q. 『Mart』編集長就任まで、どのような道のりをたどってこられたのでしょう?

 

光文社に入社したのは、1984年。配属は、その年に創刊した『CLASSY』編集部でした。僕は大学時代「文芸部」に所属していたくらいなので、雑誌ができるとは思えなかった(笑)。でも配属されたからにはファッション企画もやらなければならないので、『CLASSY』の中で毎月「OL向けの新ブランドを提案する」という企画をやったりしていました。

 

当時は「キャリアウーマン」という言葉が出始めたころ。出版も“新しい女性像“をターゲットに次々と新雑誌を出し、アパレルも毎月どこかが新ブランドを出していた。実態に則して新ブランドができるというよりも、雑誌やブランドが“半歩先”のスタイルを提案して、後から女性たちが自分にあてはめていくような“スタイル論”の時代だったと思います。

 

だから、しかける側としてはおもしろかった。提案したスタイルが巷の女性たちの共感を呼べば、彼女たちがそれを具現化してくれる。各雑誌の編集長も、自分の「提案」に人がどれだけ集まるか?と、それぞれの編集長の色が強く出た雑誌づくりがされていました。

 

まず相手のニーズありきで、自分のやりたいことをどう忍ばせるか

Mart編集長、大給近憲さんの写真

 

Q. 『CLASSY』編集部を経て、その後は…?

 

2000年まで『CLASSY』にいて。丸16年、さすがに長いなと(笑)、部署を移ろうかなと思い始めて。でも、その先に何かを考えているわけでもなかった。

 

大学時代にPR会社でアルバイトをしていたので、営業や広告もいいなと。ただ、何事も受け入れ側のニーズがないと入れないですよね。当時は30代後半でしたが、“16年同じところにいたおっさん”をどこが拾ってくれるのかは、新人と同じ条件なのです。

 

よく、「自分がやりたいことができないとイヤ」という人がいますが、自分のやりたいことができるかどうかは、まず相手のニーズがあって、そこにうまく自分のやりたいことをすり合わせているかがポイントでしょう。まずは自分が何を求められているか、ってところから入り込んじゃうみたいですね。たまたま「リニューアルするから」と呼ばれたのが、週刊誌『女性自身』の編集部でした。

 

Q.16年間を経て初の異動。戸惑いなどもありましたか?

 

当時の『CLASSY』は今よりもセグメントされていて、“東京出身で東横線沿線に住み、仕事はお金のためではなく社会との接点探し”というような女性をターゲットとしていたんです。一方『女性自身』では、読者は女子高生からおばあちゃんまで、住んでいるところもどこでもいい。まったくのフリーで、逆に困っちゃって。「迷ったら東横線沿線に行けばいい」という手がかりもなくなり、じゃあどうしようか、と。

 

“リアル”を追いかけていった先には、何があるんだろう?

代官山の街並み写真

 

Q.考えた先で、どのようなアクションを?

 

そのころ、「リアル」っておもしろいなと思っていたんです。『CLASSY』時代、ターゲットが東横線沿線に住む人だから、東横線沿線に住む人に聞けばこちらの期待通りのコメントをとれるかというと、必ずしもそうではなかった。案外、東横線沿線の人に求めているものを、練馬区や板橋区の人がつまびらかに話してくれるという“ねじれ現象”も起きてたんです。

 

そういう「リアル」を素直に受け入れて、追いかけていったら何があるんだろう、という気持ちはずっとあって。でも「リアル」って姿形よくまとめられないので、“スタイル論”では、すくいきれないところがあったんです。

 

次第に、「『リアル』と向き合っていったら、編集って成り立つんだろうか?」と思うように。『女性自身』の読者調査では7割以上が主婦だという特性があったので、ならば「主婦のリアル」を追求しよう、と決めたんです。

 

港北ニュータウンに通いつめ、主婦の話をひたすら聞いて見えたもの

Mart編集長、大給近憲さんの写真

 

Q.「主婦のリアル」はどのように探っていったのでしょう?

 

そのころは郊外型のブランドというのがアパレルでも発信されはじめていて、僕たちも、港北ニュータウンにヒアリングへ通う日々が始まりました。

 

当時は主婦コミュニティの間で、空前の手作りビーズブーム。ただ主婦の話を聞くと、これを牽引する有名な先生がいるわけでも、テキストがあるわけでもないという。

 

実態は、主婦たちが出歩いた先でお気に入りのモチーフを見つけ、これを手作りで再現してママ友とシェアし、どこにどう付けるかという情報交換もするという、完全に消費者主導のコミュニケーションだったんです。

 

そんな主婦のリアルに則して生み出したのが、『Mart』の前身となった『ビーズ・ニュース』というムック。ビーズ作家もお教室の先生も出てこない代わりに、実際の主婦が登場し、今ほしいと思うモチーフを選び、作り方を紹介し、どこにどう付けるのかを解説してもらう。それまでの“スタイル論”とは真逆でした。

 

結局『ビーズ・ニュース』は、『Mart』に内容を引き継がれるまで、3年近く不定期で発行され、累計で約250万部が売れた。「主婦のリアル」を受け入れたこの雑誌づくりが『Mart』創刊の原点となったんです。

 

・  ・  ・

 

以上、【A面】では、大給さんのキャリア軸に、雑誌を取り巻く時代環境の変化や、思考の変遷についてお話を伺いました。

 

後編となる【B面】ではいよいよ、数々のヒットを生み出す『Mart』の企画思考をテーマにお話を伺っていきます。

 

この記事の筆者

なべこ

なべこ

日本でPR会社勤務を経てフィジー留学、オーストラリアで日本語フリーペーパー編集部でのライター、田舎での農場遊牧生活などを経て帰国。現在はライティングや広報まわりのいろいろをナリワイとさせていただきながら、湘南界隈を拠点にゆるゆると生息中。