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2016.01.05

【企画人:A面】渡瀬ひろみさん(株式会社ぱど 代表取締役)/外野の声には動じない。これだと信じれば、自ら切り拓くのみ

 

【インタビュー「企画人」 】
「企画人」は自由だ。働き方も自由だ。理想と現実のギャップを埋めるチカラ、「企画力」があれば、仕事も、はたらきカタも、プライベートも、人生はもっと自由にデザインできる。多様な企画力を駆使してその人らしい生き方を実現している先人たちを訪ね、「A面:生き方・働き方」「B面:企画のポイント」をテーマに話を聞く。

 

渡瀬さん写真

 

今回の「企画人」は、株式会社ぱど代表取締役社長の渡瀬ひろみさん。今やリクルートを代表する事業ともなったブライダル情報誌「ゼクシィ」の産みの親であり、独立後、社外執行役員という稀有な立場で上場企業「ぱど」の役員に抜擢され、現在は社長としてご活躍の渡瀬さん。想像を超えるキャリアを切り拓いてこられたキモをひも解いてみたい。

 

※記事は【A面—生き方・働き方】と【B面—企画のポイント】の2回に分けてお届けします。本記事は【A面】です。

 

市場がないといわれても、ブレイクスルーは見出せる

 

Q.これまでのキャリアについて教えてください。

 

新卒でリクルートへ入社しました。既定路線的なキャリアパスがなく、ある意味先が見えないところにひかれました。そして、「New RING」という新規事業提案の社内コンテストに応募しました。そのコンテストをきっかけに立ち上げたのがブライダル情報誌の「ゼクシィ」です。

 

当時、10人中9人からは、そんなビジネスは成立しないといわれていました。そんな中、ブレイクスルーを見出すため、あちこち奔走し、最終的に会社にYesといってもらえたんです。これが、私の原点です。

 

ゼクシィを立ち上げたのち、社内で新規事業の開発を中心に経験し、新規事業のコンサルタントとして独立しました。現在代表を務める「ぱど」はコンサルティング先なんですよ。分かりやすくコンサルティングといっていますが、もともと実務派ですので実際の仕事は現場主義、プロジェクトマネジメントです。1年ほどで役員にと請われたものの、入社せずに「社外執行役員」という役職に就き、現場で改革を推進していくうちに社長職を要請されて、現在にいたります。

 

どんなに厳しい環境でも、あきらめの悪さに神様も微笑む

渡瀬さん写真

 

Q. ゼクシィの起案時、賛同が得られなかったとのことですが、普通だったらそこで諦めてしまいそうですが……周りからの意見に動じることなく行動を続けたのはなぜですか?

 

実は、New RINGでは2次選考で落選したのです。落選通知に書いてあった理由は2つ。市場が小さいこと、情報誌は無理ということでした。

 

ただ、顧客となるホテル・式場の支配人から「あなたがやろうとしていることは、業界が望んでいることです。絶対に諦めないでください」と、行く先々でいわれました。業界の構造的な課題を抱えている支配人の方々の困っている姿を目の当たりにし、「この人たちのためにやらねば」と思ったんです。だから、絶対に諦めませんでした。

 

自分の目で見て、聞いて、感じて「あるな」と思ったら他人がとやかくいおうが、やれると思っています。外野の評論家の意見にはまったく動じません。落選しても諦めずに業務時間外で活動を継続していたら、「お前はしつこいな」と(笑)新規事業開発室へ異動するチャンスを得ました。ただし、半年以内に経営会議でOKが出なければ、居場所はなく、地方へ異動するという条件つき。

 

やるか、と問われて、Yesと答えて退路を断って異動。なんとか立ち上げました。

 

リーダーって、自分が世の中に対して、どういう事をやろうとしているのかをいい続ける役目だと思います。すると、神様がいてちゃんと応援物資を差し出してくれるんですね。新規事業なんて困難と危機の連続ですが、たくさんの人に常識破りな支援も含め助けてもらって前に進めてきました。最初に与えられた条件の範囲内でやろうとしても、新しいことなんてやれるわけないんです。

 

“社外”なのに“執行役員”!?

信念

 

Q. 独立されてからも、「社外執行役員」という役職でご活躍されてこられたのですね。とても、新鮮な肩書きに感じますが……

 

私はもともとコンサルタント畑ではなく事業畑でしたので、絵を描いて去るという仕事の仕方はしたくありませんでした。独立してからも、コンサルタントというよりは、事業開発や課題解決のプロジェクトマネジメント的な仕事スタイルでした。

 

そのスタイルで仕事をしていると、「ぱど」の当時の社長から役員になってほしいとお声がかかりました。ただ、ライフワークとしてベンチャー支援の活動をしていたり、大学で教えたりしていましたので、入社することはできない状況でした。すると他でなにをやってもいいから……とおっしゃってくださり、お受けした役職が、「社外執行役員」だったのです。

 

社外という立場がいいところは、社長にもフラットに物申せることではないでしょうか。社外の立場から、フラットでニュートラルになんでも話すことができました。

 

Q.こういう場合、古くからの社員から受け入れられず情報入手さえできないというようなケースをよく耳にしますが、そこはどうクリアされたのですか?

 

「私は、皆さんの成果を最大にするためのサポーターですよ」と一緒にお仕事させていただく方々へいっていました。ライバルではなくサポーターですよ、という意味でいっていました。この「一緒に仕事をする人たちの成果が最大になるために支援する」という仕事は、実は社長の仕事だなと思いました。

 

そういう気持ちで課題をひとつひとつ解決していくうちに、志を同じくし私を助けてくれる人たちが現れ、そして社長になって欲しいといわれることになったのです。

 

・  ・  ・

 

以上、【A面】では、渡瀬さんのこれまで歩まれてきたキャリアや、特にその原点となった体験と信念について伺いました。

 

後編となる【B面】では、上場企業において外部コンサルタントの立場から、社長に抜擢されるという異例の人事を歩んでこられた渡瀬さんに、その過程において現場ではどのようなことを行ってこられたのか伺います。

 

 

<つづく>

 

 

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この記事の筆者

きくの ようこ

きくの ようこ

人生・ナリワイを自由にデザインし、実現できる社会になればいいな、という願いを胸に、ライター、コーチ、ファシリテーターなどを生業とする。東京に居を構えながらも地方や森に出没することが多い。特技は、人の強みや夢を絵に描くこと。