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2016.02.09

【企画人:A面】小畑重和さん/どんな仕事も自分流の“おもろい”仕事に変える達人

 

【インタビュー「企画人」 】
「企画人」は自由だ。働き方も自由だ。理想と現実のギャップを埋めるチカラ、「企画力」があれば、仕事も、はたらきカタも、プライベートも、人生はもっと自由にデザインできる。多様な企画力を駆使してその人らしい生き方を実現している先人たちを訪ね、「A面:生き方・働き方」「B面:企画のポイント」をテーマに話を聞く。

 

 小畑さん写真

 

今回の「企画人」は、「採用の神さま」とも称される小畑重和さん。株式会社日本リクルートセンター(現リクルート)の高成長期の採用責任者として年間1000名超の採用も成功させ、その後も、「すぐやる、いい訳しない、あきらめない」姿勢を貫き、それまでにない事業・企画を次々と打ち立ててこられた。自分の未来を自分でつくり続けている、まさに人生の「企画人」。その生き様を支えてきた背景をお伺いした。

 

※記事は【A面—生き方・働き方】と【B面—企画のポイント】の2回に分けてお届けします。本記事は【A面】です。

 

前例のない仕事を生み出し続けてきた

 小畑さん写真

 

Q.これまでのご経歴を教えてください。

 

大学時代は会社員になるつもりはなく、政治家を目指して松下政経塾に応募しました。ほとんど落ちることはないといわれる最終面接まで進み、「これは、いける」と思っていました。しかし、なんと最終で、松下幸之助さんに落とされてしまったんです・・・・・・。

 

ただ、当時アルバイトをしていた日本リクルートセンターの上司は、私が政経塾に入れなかったことを逆に喜んでくれて、社員として誘っていただき、入社することになりました。

 

80年代はまだ知名度の低い時代のリクルートで採用担当、90年代はブルーカラーに特化した求人情報誌「ガテン」の企画課長を経て、リクルートがダイエーのグループ入りした際にはダイエーとの窓口として両社のシナジーを生み出すプロジェクトを任され、2000年代は、社会人向けキャリアづくり支援のスクール「i-Company」の校長に。その後、独立して、企業の人材採用・教育の支援や、企業の地方・アジア進出の支援などを行っています。

 

難しいことも、自分流に面白く、手間暇かけて

小畑さん写真

 

Q.まだ、リクルートが知名度も低かった時代、活躍する人をどのようにして採用したのですか?

活躍する優秀な人材を採用するためには、「日本リクルートセンターに入りたい」と集まってくる人の中から選ぶのではなく、向こうから応募してこなくとも会社としては是非採用したい「欲しい人材」を採りにいくのだ、ということをよくいわれました。

 

普通にしていたのでは、そのような優秀な人材と会うことはできませんから、学生の意識調査からはじめ、まずは会える方法から企画しました。採用広報、パンフレット、リクルートブックで何を訴えるのか? を考え、内定者を集めたイベントで司会をしたり、琵琶湖に学生を集めてイカダづくりを通じたチームビルディングの研修を行ったりしました。

 

今では一般的な考え方になっていますが、当時リクルートでは経営において「採用」をプライオリティの一番においていました。当時、そんな会社は他にありません。優秀な人材に対し、人手を割いて、手間暇かけて、ひとりひとり口説いていました。

 

当時、社員5000人の時代、1000人の新卒を採用した年もありました。新卒を大量に採用することにより、会社にカオスを意図的に生み出し、そのカオスを乗り越えることによりさらに会社を強くするマネジメントスタイルでした。こうして、鍛えられ、成長している企業だからこそ、入社したいという学生が集まってくるという流れにもつながっていたと思います。

 

どんな仕事も「そこにチャンスはないか?」を見抜く

小畑さん写真

 

Q.リクルートがダイエーのグループ入りしたときは、いわゆるダイエーの窓口担当として抜擢されたのですよね。大変な時代に、結構タフなポジションのように感じるのですが・・・・・・

 

窓口というと硬そうですが、簡単にいうと、「ダイエーから、リクルートが面白い会社だと思われること」がミッションの仕事でした。たしかに、 “情報と流通の融合だ”ということで、よくわからないものも含めていろんなオーダーが次々に回ってきて大変でした。その水際処理部隊です。

 

広告関連にはじまり、ホテル建設の企画、OMCカードの顧客データを生かした事業企画、ローソンの端末をつかった仕掛け、など・・・・・・

 

それらに対して、面白いことをやってみせることが期待されていました。ですので、いろんな依頼に最初はびっくりしても、「自分の仕事はこうだ」と決めつけるのではなく、幅広く応えられるようにしていました。「そこにチャンスはないだろうか?」と探して、逆に仕事をめいいっぱい遊ぶんです。自分の仕事も企画できなくて、どうするんだ、と思ってやっていました。

 

どう思ってもらうかを、意識的につくり出すこと

小畑さん写真

 

Q.普通ではあまりない、特殊な業務が多いご経歴と感じるのですが、そうなったきっかけはあるのですか?

 

仕事を次につなげるには、自分のことを知ってもらってナンボだと思っていました。ですので、周りの人にどう思ってもらっているか? ということを意識して、「こいつなら、任せられそう」と思われるよう、発信をしていました。採用でもイベントの司会をしたり、日々の宴会を盛り上げたり、曲をつくったりということをやっていました。ダイエーとの窓口のときも、スーツを着ないで、こういうラフな格好をすることで見せ方を意識して、関係をつくったりしていました。

 

いくらでも、自分でラベルを貼り直すことはできますからね。

 

こういう工夫も「よくわからないものでもコイツに任せておけばなんとかしてくれる」と、思ってもらえるようになったひとつかもしれません。

 

・  ・  ・

 

以上、【A面】では、小畑さんのこれまでのご経歴から、どんな仕事もご自身流の仕事に変えてこられた姿勢や考え方について伺いました。

 

後編となる【B面】では、それぞれの場面で生み出してこられた実際の企画について、その極意に迫ります。

 

<つづく>
 

 

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この記事の筆者

きくの ようこ

きくの ようこ

人生・ナリワイを自由にデザインし、実現できる社会になればいいな、という願いを胸に、ライター、コーチ、ファシリテーターなどを生業とする。東京に居を構えながらも地方や森に出没することが多い。特技は、人の強みや夢を絵に描くこと。