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2016.03.17

【企画人:A面】齋藤潤一さん(特定非営利活動法人 まちづくりGIFT代表理事)/“1勝99敗”でもいい。直感に従い、まずは飛び込む

 

【インタビュー「企画人」 】
「企画人」は自由だ。働き方も自由だ。理想と現実のギャップを埋めるチカラ、「企画力」があれば、仕事も、はたらきカタも、プライベートも、人生はもっと自由にデザインできる。多様な企画力を駆使してその人らしい生き方を実現している先人たちを訪ね、「A面:生き方・働き方」「B面:企画のポイント」をテーマに話を聞く。

 

齋藤潤一さん

今回の「企画人」は、特定非営利活動法人 まちづくりGIFT代表理事、齋藤潤一さん。シリコンバレーのITベンチャー企業でディレクターとして活動したのちに、日本でWebブランディングの会社を起業後、震災を機に宮崎県に移住。地元工芸品の世界展開「飫肥杉プロジェクト」、「宮崎移住計画」、宮崎発の起業支援を行う宮崎スタートアップバレーを創設する他、「稼ぐ地域をつくる」をテーマに地域資源を活用した事業の創出を手掛けてこられました。全国各地で地方発のプロジェクトを多数成功されている齋藤さんの企画力に迫ります。

 

※記事は【A面—生き方・働き方】と【B面—企画のポイント】の2回に分けてお届けします。本記事は【A面】です。

 

まずは飛び込む!辞書を抱えて単身渡米

齋藤潤一さん

 

Q.まずは、齋藤さんのご経歴を簡単に教えてください。

 

大阪に生まれて、奈良の田舎で育ちました。関西大学に入学したのですが、当時の努力しなくても単位が取れてしまう大学のシステムに疑問を持って、渡米しデザインの学校に行きました。その後、シリコンバレーのITベンチャーに入り、世界のトップクラスのメンバーが集まる刺激的な環境で一連のITの技術と経験を得て、日本へ帰国。東京でWebブランディングの会社を起業したのち、妻の実家である宮崎県へ移住し、今手掛けている地域プロデュースの仕事へとつながってきました。

 

Q.渡米、起業、地方移住・・・・・・すごい人生ですね。どのようにして、それらの人生を意思決定してこられたのですか?

 

直感に従っていましたね。大学時代にデザインをやりたいと思って、当時英語は全然話せなかったのですが、全米で一番いいカレッジを探して、辞書を抱えながら渡米しました。入った学校がたまたまAppleのお膝元で、優秀な先生、設備が集まっていました。運がいいと思います。

 

卒業した当時は、モバイルデジタルコンテンツのブームでした。そこでインターンでシリコンバレーのベンチャー企業に入り一生懸命やっていると、上の人がどんどんヘッドハンティングされていくものだから、自分がずっと最前線でサービスを担当させてもらっていました。大学を出て早々に、全米にプレゼンテーションして回り、世界のトップクラスと一緒に働くことができました。

 

所属していた企業の再編に伴い、日本に帰って挑戦しようと思い、帰国しました。

 

転機は「ご用命下さい」に変わったとき

齋藤潤一さん

 

Q.帰国後、すぐに起業されたのですね。苦労はありましたか?

 

日本でWebブランディングの事業で起業した当初は、「何かあったらやりますよ」という受け身のスタンスでした。シリコンバレーにいた頃、取引先から「日本で起業したら仕事を依頼するよ」と言っていただいていたのに、調子に乗って「自分で見つけますから大丈夫です」なんて言ってたんです。仕事くらいあるだろうと思ってました。

 

しかし、起業してみたら、仕事が全然ないんです。

 

このままではいけないと気づき、「ご用命下さい」というスタンスにシフトしました。謙虚になることで、やっと仕事を依頼されはじめ、大手のウェブ企業や広告代理店と仕事させていただけるようになりました。自分が変われば世界は変わるんだと身にしみましたね。

 

そこで、企画人にとって大事なのは、謙虚であることだと学びました。「企画をやってあげている」というスタンスでは、ダメでした。企画って、創発だと思うので、同じ目線で同じ立場で同じビジョンを見ているということがとても大事。そのことに気づいて、仕事をさせていただいているという姿勢を持てるようになったことで変わりました。

 

“1勝99敗”でいい。大事なことは恐れず飛び込むこと。

齋藤潤一さん

 

Q.日本での事業が順調に運ぶようになったのに、なぜ宮崎へ?

 

当時は、商業デザインを企画する仕事でしたので、”売れるもの”をとにかくひたすら考えていました。そんな中、どこか心がむなしくなった時、地方企業の再建の仕事をいただき、成功させることができたんです。他の仕事と比べると、受注額としては一桁少ない仕事ではありました。しかし、ものすごい「ありがとう」と言われて。自分がシリコンバレーでお金儲けのために持っていると思っていたスキルが、こんなに社会に貢献できるんだとはじめてわかりました。

 

さらに官公庁等の仕事をさせてもらって、もっと自分の仕事のスキルを社会に還元しようと。そこから地域の仕事をやるようになりました。

 

震災を機に東京を離れる決意をしました。これから、お金や生き方の価値観が大きく変わると思ったからです。宮崎にしたのも直感です。豊かな気候に加えて「食」が決め手になりました。宮崎の食は世界一だと思います。

 

宮崎を拠点に活動する今、いろんな人に応援してもらえているのも、その直感を信じたからですし、シリコンバレーに行ったのも直感を信じて行ったというのは大きいですね。とにかくやってみる。

 

Q.人生を歩む上で大切にしてこられたことは何ですか?

スタンフォード大学の研究で、計画的偶発的理論というものがあります。イノベーションは偶然にしか生み出せないので、計画的に偶発性を生み出そうとするもの。今、結構それにフォーカスしています。

 

そうした偶発性を生み出すには、たくさんの失敗をすることが大事だと思っています。なので、1勝99敗です。昨年の全国の地方創生成功事例17事例のうち、2事例に私が携わったのですが、実際にはもう9万回くらい失敗しているんです。そのうちの一部に過ぎない。「とにかく、たくさん失敗しよう。それが成功に導く秘訣だ」と、いつも仲間に言っています。そうするうちに地域の人が恐れず飛び込んでいくようになってきているなと思います。

 

 

・  ・

 

以上、【A面】では、齋藤さんのこれまで歩まれてきたキャリアや、転機において培ってきた価値観、大切にしてきたことについて伺いました。

 

後編となる【B面】では、「稼ぐ地域をつくる」ことを、地で実践していらっしゃる齋藤さんに、いよいよその企画の極意について伺います。

 

<つづく>

この記事の筆者

きくの ようこ

きくの ようこ

人生・ナリワイを自由にデザインし、実現できる社会になればいいな、という願いを胸に、ライター、コーチ、ファシリテーターなどを生業とする。東京に居を構えながらも地方や森に出没することが多い。特技は、人の強みや夢を絵に描くこと。