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2016.07.14

【企画人:A面】中川敬文さん(UDS株式会社代表取締役社長)/ 既成概念に捕らわれない付加価値のつけ方

 

【インタビュー「企画人」 】
「企画人」は自由だ。働き方も自由だ。理想と現実のギャップを埋めるチカラ、「企画力」があれば、仕事も、はたらきカタも、プライベートも、人生はもっと自由にデザインできる。多様な企画力を駆使してその人らしい生き方を実現している先人たちを訪ね、「A面:生き方・働き方」「B面:企画のポイント」をテーマに話を聞く。

 

中川敬文さん

 

今回の企画人は、キッザニア東京、CLASKA、ホテルアンテルーム京都、代々木VILLAGEなどさまざまな施設の企画、プロデュース、なかには運営までも手掛ける「UDS株式会社」(以下、UDS)の代表取締役社長 中川敬文さん。社長でありながら、プレイヤーであり続けるという、常に自分の得意なこと、市場でのポジションを見ながら築かれてきたキャリアやご自身だけの企画力ではなく、ホテルなど大きい事業に向かう「組織としての企画力」に迫ります。

 

※記事は【A面—生き方・働き方】と【B面—企画のポイント】の2回に分けてお届けします。本記事は【A面】です。

 

いつも少数側を選んでいた

中川敬文さん

 

Q.現在のお仕事をするようになった経緯を教えてください。

 

新卒で入った会社は、化粧品会社の株式会社ポーラでした。そして希望を出して入った部署は「新規事業開発」。でもそこは、飴玉の新しい開発をする通称「キャンディチーム」と呼ばれるところでした。もちろん化粧品会社でキャンディチームなので、人気がなくて希望者は僕しかいませんでした。でもここで、モノを作って事業にして、利益を得るという究極のケーススタディを経験し、すべての土台になっています。

 

自分でどんなに素晴らしい企画をして、プレゼンしても最終的には飴玉の味で判断されてしまう状況から、「自分を売る」仕事をしたくなり、当時あまりなかった、コンサルティング会社の株式会社オーディーエスに転職しました。

 

ここでは約6,000人の方の数十年というスパンでデータを取っており、それをもとに日本人の価値観やライフスタイルの調査、基準づくりを進めていました。この仕事を2年半やったあと、提案ベースではなく、より現場に近い方が自分はいいと、また転職を考えていました。そのときに偶然、社内で新潟県上越市に当時の日本最大級のショッピングセンターの開発プロジェクトが立ち上がりました。もちろん社内では希望者はおらず、自分が経験・能力・力量すべて足りないのに立候補をして、参画することになりました。

 

新潟のプロジェクトが終わり、東京に戻ってきた際に紹介で入社したのが、当時の有限会社都市デザインシステム(現、UDS株式会社)になります。新卒で仕事をはじめて、すぐに気づいたことは、バブル時の入社で同期もたくさんいたこともあり、「ここでどう生きていくのか?」「違いをつくれるのか?」とういことでした。そこからなるべく少数側はどこか? と選択してきました。そしてこれは今でも絶えず考えています。

 

CLASKA:ベンチャーだからこその悩みがホームランにつながる

中川敬文さん

 

Q.UDSではコーポラティブハウス、コーポラティブビレッジと事業規模が大きくなり、その後ホテル事業に発展していくのですが、「まちづくり」を軸にしたホテル事業について教えてください。

 

もともと、会社としては「まちづくりをやりたい」というのがコンセプトとしてあり、まちの最小単位である「家族が住む場所」としてコーポラティブハウスからはじめました。ホテルというのは、それ自身が「目的地」になりえるもので、当時日本を代表できるホテルがないのでは? という想いも挑戦した一つのきっかけです。

 

ただ、当時ベンチャーで実績もない会社なので、いきなり任せてもらえるわけもなく、またお金もないという状況でした。そこで駅から遠く、築34年の廃墟のような建物を改装したのが、目黒にある「CLASKA」です。

 

34室あるホテルでしたが、そのまま改装してもしょうがないので、いかに外から来てもらうか? ではなく、いかにそのまちの人に使ってもらえるかを考えました。当時、ホテルの近辺ではクリエイターが増えて、自宅を事務所として使っているなどの状況があり、34室の客室のうち、9室をホテルとして使用し、残りをそのクリエイターたちに使ってもらうことにしました。シェアオフィスの草分けのようなものです。CLASKAの名前は、クリエイターがどう「暮らすか?」からとったものです。

 

また、クリエイターたちだけでなく、地元に住む方たちがよくペットを連れて歩いているのを見て、ペットを連れて来られる場所として、1階にトリミングサロンをオープンし、カフェなどを併設しました。

 

結果、珍しい形態のホテルとなり、まちの人からの支持だけでなく、海外からも人を呼ぶホテルとして成功を収めました。この後、京都のホテル事業へ展開します。どこのホテルでもまずは地域としての歴史をふまえて、まちの人にどう使ってもらえるかを考えています。

 

代々木VILLAGE:いかにまちの価値を上げるか

中川敬文さん

 

Q.すべての事業はCLASKAのようにそこにある課題を解決していくものだと思うのですが、たとえば代々木VILLAGEではどういう課題解決があったのでしょうか?

 

代々木VILLAGE」は、8年限定でなにかを行うということや、周囲に予備校が多いことから、予備校生向けの案が出ていました。そんな既成概念からの案では、まちの価値は上がらない。そこで、まず代々木には実は豊かに暮らしている大人がたくさんいることから、その大人の方たちがふとくつろいで過ごせる場所をつくろうということになりました。また、8年限定というところは、なるべく廃材が出ないようにコンテナを用いたりなどの工夫もしました。

 

以上、【A面】では中川さんの少数側の選択を積み重ねたキャリアのお話と、UDSという組織全体でどのような企画(課題解決)をしてきたかのお話を伺いました。

 

UDSは「付加価値をつけられないなら、存在しても意味がない!」などの言葉も飛び出した組織としての企画力に迫る【B面】もお楽しみに。

 

<つづく>

この記事の筆者

yoko koga

こが ようこ

IT企業でのSE、営業ののち、4年のブランクを経てアイクリエイトで修行中。地域でママ×○○として「やりたい」が育つ『ツナグバ』という場づくりに奮闘中。