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2015.11.28

宣伝費ゼロで動員数7,000人以上。小さな村の「星空の映画祭」の企画・運営力に迫る①

星空の映画祭1

 

こんにちは。Miyoです。

 

皆さんは長野県の人口8,000人に満たない小さな村、原村(はらむら、と読みます)をご存じでしょうか。

 

コンビニが村内に1つしかない原村では、毎年夏に野外の大スクリーンで20日前後、様々な映画を上映する「星空の映画祭」が開催されています。今年は開催30周年という長い歴史を持つ星空の映画祭。地元の人のみならず、県外にも多くのファンを持つこの映画祭は、1日平均200人の動員数を誇る名物イベントとなっています。

 

2015年の動員数は7,366人。なんと宣伝費はゼロ。スタッフはすべてこの映画祭を愛するボランティアで運営されているということです。

 

今回は、星空の映画祭がどのようにして長く続きながら愛されるイベントとなったのか、その企画・運営方法のヒントを探っていきたいと思います。星空の映画祭実行委員の堀之内通子さんにお話を伺いました。

 

一度は消えた映画祭。復活させたのは熱い思いをもった一人の女性だった

満天の星空の下で、大スクリーンの迫力で映画を楽しめる「星空の映画祭」

 

星空の映画祭は、1981年、ペンションZig-Zagのオーナー柳平二四雄さんが、

 

「風の谷のナウシカ」を自然の中で、大スクリーンでみてみたい

 

と熱望し、長野県茅野市にある映画館「新星劇場」とコラボレーションして実現したのが始まりでした。開催当初は知る人ぞ知るイベントでしたが、だんだんと県外からの動員も増え、地元の人にも愛されるイベントとして定着していきました。地元の子ども達も毎年楽しみにしていて、原村で育つ子ども達は、夏に映画を楽しむのが習慣として根付いていったのです。しかし、2007年、運営資金の問題で閉鎖。星空の映画祭の火は消えかけてしまいます。

 

その頃、原村で映画祭をみて育った一人の女性、秋山良恵さんは東京都三鷹市にある映画通が多く通う吉祥寺「バウスシアター」で働いていました。映画に関わるようになって秋山さんは、毎年野外の大スクリーンで粒ぞろいの映画をいくらでも見ることができた環境は、日本随一の恵まれた環境だったということに気がつきます。

 

そして時を同じくして、星空の映画祭が閉鎖されてしまったことを知らされます。秋山さんは大変ショックを受け、再開のために発起することを決意します。

 

お客様がたった1人でも最善を尽くす。その思いが周囲を動かした

星空の映画祭の映写機

 

秋山さんは、まず職場で一緒だったバウスシアターの武川寛幸さんに相談しました。武川さんは、奇遇にも長野県岡谷市の出身。星空の映画祭に親しんで育った同志だったこともあり、全面的に協力してくれることになりました。早速、立ち上げ人の柳平さんへ相談に行きます。

 

柳平さんは「お客様がたとえたった1人でも、あの感動を味わってもらいたいんです」と熱く語る彼女たちに「それなら、君たちが映画祭をやってみたらいいんじゃないかな」と新星劇場にも協力してもらうよう、かけあってくれました。

 

文字通りゼロからのスタートでした。2009年からSNSを使って「星空の映画祭復活プロジェクト」の呼びかけをしていきます。最初は原村出身者、映画が好きでたまらない人を中心に。熱い思いに共感する人々は徐々に広がり始めました。

 

秋山さんは運営面全般を、武川さんは作品の選定を担当することで復活に向けて具体的に動き始めたのです。

 

ここまででも、企画実行におけるヒントがたくさんありますね。

 

②へ続きます。

 

 

この記事の筆者

Miyo

Miyo

5年で30人から1000人規模へ成長を遂げたベンチャー企業にてシステム担当から広報、IR、経営企画、上場準備と幅広い分野をがっつり経験した事務系ジェネラリスト。出産を機に独立。2014年に八ヶ岳の西麓に移住し、自然の中で丁寧な子育てを実践中。線香花火のようにじわっと長く愛される企画やマニア心をくすぐる企画がツボ。